テルメズ (Tirmiz)
テルメズ(ラテン文字:Termez、Termiz / Термиз、Термез、 、ترمذ)はウズベキスタン共和国の都市であり、スルハンダリヤ州の州都である. アフガニスタン・イスラム共和国はアムダリヤ川を隔てた向こう側である. 町の名前の由来はギリシア語で「暑い所」を意味するthermosにあり、アレクサンドロス大王の東征の時代にまで遡ることができるという説がある . 実際、ウズベキスタンで最も暑い都市である. において最も重要な書物の一つ『』を著した(824年生)や、イスラーム法学者の(8世紀中葉生まれ)の出身地として知られる. 後者は「ハキーム」のラカブが示すとおり諸学に秀でた人物であり、最初期のスーフィーの一人でもあった. ハキームは「テルメズの父」(Termiz Ota)と呼ばれ、テルメズには彼の名前を冠したモスクがある.
バクトリアの時代には既に定住があったことが認められる. クシャーナ朝の時は仏教の盛んな土地になり、仏教遺跡が多く残っている. 『大唐西域記』では「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余箇所あることを伝えている. 7世紀以降アラブの進入でイスラム教の中心地となった.
13世紀にモンゴルによって破壊された後、旧市街の北2マイルに新市街が作られた. ティムールの師であり哲学者であったSaid Barakaはこの町の出身であり、ティムールの治世には繁栄を極めた. 17世紀に破壊されたが、1897年にロシア帝国の要塞が造られ、歴史に再び登場する. アフガニスタン紛争ではソビエト連邦軍が駐留し、アフガニスタンへの重要な軍事地点となった.
近年では、国連などがアフガニスタンに支援物資を供給する拠点にもなっていたことがある. また、テルメズにはアフガニスタンから逃れてきた少なからずのアフガニスタン人が住んでいる.
バクトリアの時代には既に定住があったことが認められる. クシャーナ朝の時は仏教の盛んな土地になり、仏教遺跡が多く残っている. 『大唐西域記』では「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余箇所あることを伝えている. 7世紀以降アラブの進入でイスラム教の中心地となった.
13世紀にモンゴルによって破壊された後、旧市街の北2マイルに新市街が作られた. ティムールの師であり哲学者であったSaid Barakaはこの町の出身であり、ティムールの治世には繁栄を極めた. 17世紀に破壊されたが、1897年にロシア帝国の要塞が造られ、歴史に再び登場する. アフガニスタン紛争ではソビエト連邦軍が駐留し、アフガニスタンへの重要な軍事地点となった.
近年では、国連などがアフガニスタンに支援物資を供給する拠点にもなっていたことがある. また、テルメズにはアフガニスタンから逃れてきた少なからずのアフガニスタン人が住んでいる.
地図 - テルメズ (Tirmiz)
地図
国 - ウズベキスタン
ウズベキスタンの国旗 |
ウズベキスタンはテュルク語圏の一部であり、テュルク評議会、テュルク文化国際機関、のメンバーでもある. 国連、WTO、CIS、上海協力機構(SCO)、ユーラシア経済連合、CSTO、OSCE、イスラム協力機構などの国際機関に加盟している.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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UZS | スム (Uzbekistan som) | so'm or Ñўм | 2 |